クリスタルの輝き

クリスタル・ブランド、仏ラリック社の創立 100 周年記念イベントを目前に控えた社長のシルヴィオ・デンツとフランスアルザス地方にあるウィンジャン=シュル=モデーへ足を運び、ガラス芸術の変遷を辿ることにした。ガラスという透明な素材と、それに魅せられたひとりの男の共通項とは?

   

ストラスブールから北へクルマで 30 分、シュ ウィンドラッツハイム料金所の標識に記されている方向はひとつだけ。パリだ。そこからパリまで約 500km。ここで舵をパリに向けてもいい。いや、むしろ大多数の人がパリを選ぶだろう。確かにパリは世界中の全てを凝縮して見ることができる 場所ではあるが、フランスらしさに欠ける。真のフランスらしさとは田舎――特にドイツとの国境に面するこのアルザス地方――にあるとシルヴィオは考えている。この際パリは無視して、シュヴィントラッツハイムからノーザンヴォージュ自然公園方面へと直進し、ウィ ンジャン=シュル=モデーに向かおうではないか。

宝飾デザイナーであり芸術家、そしてガラス工芸職人であったパリ出身のルネ・ラリックがウィンジャンに近代工業化をもたらしたのは今から 100 年前のこと。以来この地でラリック一族が築き上げてきた財産を守るために、スイスの投資家シルヴィオ・デンツがバトンを受け継いだ。

彼はこの地に星付きレストランをオープンさせると、世界最大級のヴィンテージ香水瓶のコレクションを公開して周辺の付加価値を高めると同時に、フランスの老舗ブランドであるラリックをグローバル・ブランドへと成長させた。デンツは語る。「“奢侈なライフスタイル”=“高価なもの” という既成概念に囚われず、効果的なエッセンスを程よく取り入れることが大事だと考えています。品質なくして成功はありません。そしてその品質と成功はエクスクルーシブであればあるほどいいのです」。

世界中で 700 以上の店舗やショールームを展開するラリックは、パリやロンドン、ビバリーヒルズ、香港、ベイルート、ウズベキスタンのタシケントといった要所に 30 店舗以上の直営店を構える。中でも、 ヴォージュ山脈の麓にあるウィンジャンは、そこに身を置くだけで一世紀昔にタイムトリップしたような気分になる不思議な土地だ。

オーブン職人のオリビエ・ペトリが、生産ホールに隣接する部屋で 6 つのオーブンの表面を素手で整えている。僧侶にも似た穏やかな気配を放つペトリは、落ち着いた様子で自身の仕事を説明する。「オーブンは  4ヶ月で文字通り燃え尽きてしまうのです。そうするとまた新しいものを作ります」。

生産ホールの中心に置かれた 1200 度の高温を保つ溶融窯と床下の冷却炉の間を 5 人の男性が行き来している。窯の近くでは職人のマルシャル・リニが、同僚の回す吹き竿から真っ赤なガラスをはさみで要領よく切り取っていく。信じられないほどの精確性が求められる作業をまるで機械仕掛けの如く一寸の狂いもなく淡々とこなしている様子を見れば、ラリックが 芸術的なガラス工芸に秀でた由緒ある企業であることは一目瞭然だろう。

ここでは約 250 人の従業員が、ジュエリーや香水瓶、インテリア、クリスタルシャンデリア、花瓶、家具の象眼細工に使われる装飾品など、毎年 50 万点を超える逸品をすべて手作りで製造している(中には仕上がりまで数百時間かかるものもあるという)。

伝統:
シルヴィオ・デンツが 20 年間愛し続 けてきた深黒のポルシェ 911 ターボ S。 彼は 1920 年にウィンジャン= シュル=モデーに建てられたヴィラ・ レネ・ラリックをエクスクルーシブな レストランに変えた。

2008 年以降、デンツがウィンジャンの生産拠点に投資した額は 2500 万ユーロに達するとのことだが、その効果は大きく、生産性は言うまでもなく品質の向上にも寄与している。「私たちは同じ製品を 1000 万個作るよりも、ひとつずつに個性のある作品を作っていきたいと考えます。中には似通ったものもありますが、よく見ればディテールが少しずつ違います。そしてその個性を生み出す技術や伝統を後世に伝えていくのです」。

創業者ルネ・ラリックが香水瓶の生産を手掛けてから、アルザス地方にあるこのガラス工場は常にフル稼働してきた。そして化粧品の包装を専門とするパリのポシェット・グループがシナジー効果を見込んで家族経営の同社を買収したのは 1994 年のこと。しかしその 15 年後、新たにラリックの指揮を執ることに なったシルヴィオ・デンツはこう確信したのだった。ラリック社の未来は大量生産にはない、唯一無二のエクスクルーシブな製品を提供することにあるのだ、と。

シルヴィオ・デンツという男は実に好感が持てる人物で、偉そうに部下を引き連れたりすることもなく、関係先とのアポ取りも自ら電話で行う。そんな彼が重要視しているのは、“何事もストレートであること” だ。彼がラリック社を買収した時、当時パリにいた所長は上下関係を重んじる社風を守りたかったが故、 ぽっと出のデンツが発言力を持つまでに相当の時間が掛かったという。組織のフラット化を提案した際には、所長を筆頭に方々から批判を浴びたデンツは、これでは話にならないと考え、思い切って強硬手段に出る。なんと役員全員の解雇に踏み切ったのだった。「私とてティーム・プレーヤーのひとりです。そして、力を合わせば、思いもよらないゴールに到達できると信じています。720 人のスタッフの誰が私に報告をするかなんて、私にとってどうでもいいことなのです。早く、正確に情報を伝えてもられば それでいい」。

ものづくり:
溶融窯から出てきた液状のガラスが、芸術的に成形されたキャストで 美しいフォームに整えられていく。キャストは、ノミやマレットを使って精密に加工される

“ヴィラ・ラリック” や “シャトー・ラフォリ・ペイラグェイ” と同様に、デンツが手掛けたウィンジャンのレストラン “シャトー・ホッホベルク” で昼食をとった際、 デンツは自身の父親についてこんな話を聞かせてくれた。彼は貧しくも裕福でもないごくごく普通の家の出身のデンツは、どのようにしてここまでの企業家になったのだろうか。「父はいつも『人生の扉を開けるのは言葉だよ。きちんと話すことができなければ簡単に騙される』と私に話してくれました」とデンツ。ミルウォーキーで英語を、ローザンヌでフランス語を学び、スイス、バーゼルにある州立銀行で銀行員としてキャリアをスタートした彼が、従業員 8 人の家族経営の会社に参画し 800 人のスタッフを擁する化粧品店チェーン “Alrodo” へと発展させていったのはちょっとした偶然だった。成功には何が必要かを彼に尋ねると、当たり前のフレーズが返ってくる。しっかりとした教育を受けて、努力、そして努力。決断に必要なのは勇気ではなく “計算されたリスク” を抱えることなのだとも。ボルドーのワイナリーでも、スコットランドのウィスキー蒸留所でも、投資の基準は 同じなのだ。

2008 年には赤字を計上していたラリックだが、香水ビジネスを熟知するデンツの差配により復調を遂げ る。「香水業界において 800 万ユーロ程度の売り上げでは全然足りません。その 2 倍、3 倍の売り上げが見込めないと商売にならないのです。今は香水が事業の柱に育ち、おかげさまで売り上げは 4 倍になって います」。

繊細なエレガンス:

繊細なエレガンス:

1929 年にルネ・ラリックがパリのウォルトのために製作した高さ 7.3 センチの瓶“フルール・パリジェンヌ”
ルネ・ラリックが この地、 アルザス地方で ガラス工芸を 始めたのは 100 年前のこと。 シルヴィオ・ デンツは 新しい息吹を 吹き込みながら その貴重な 遺産を 守っている

ビジョンを持つということは、可能性を見極め、ユニー クな発想を連続的に組み合わせることだろう。ウィスキーにもクリスタル製品にもあまり関心がなかったデンツだが、彼の香水瓶への情熱が新しいビジネス・ チャンスへと繋がったのは間違いない。「当初、ラリックではクリスタル製品の生産は中止しようという声さえありましたし、ウィスキーなんて全くの想定外でした。でも、顧客のマッカラン蒸留所から古い樽で 貯蔵されているウィスキーが減っているから値段を高く維持しておきたいと言う話を聞いて、ピンときたのです。クリスタル製品をやめなくてよかったと心底思いましたね。ボトル自体の価値を上げて、2003 年には 1 本 5000 ドルで売れました」とデンツは笑みを浮かべる。現在、ラリック社はクリスタルのボトルに ウィスキーをボトリングしているが、ラリックのウィスキーボトルはコレクターの間で 7 万ユーロで競り落とされるものもあるという。

香水瓶への情熱が新しいビジネス、そしてプライベートコレクションを生み出していった

金儲け。財産。そのどちらにもデンツは興味がない。とはいえ、従業員の給料のために、ビジネスを発展させていくために、そして国民として納税するには然るべきお金が必要だ。「長者番付に載るということは、自分という人間が所有資産で定義されてしまう気がしますね。楽園のような島に行って、幸福なのだと自分に言い聞かせても、食事が合わなかったり、お腹が痛くなったり……。本当の幸福とは、お金で買えるものではなく、自らの内側にあるものですよね」。

公の場に出ることを避け、スキャンダルとは無縁という点において、シルヴィオ・デンツのストイックなビジネスマンとしてのイメージと一致する。しかし意外と言うべきか、航空もダイビングも上級ライセンスを持っているのだから侮れない。そしてもうひとつ。彼が 20 年来愛してやまない情熱の対象がある。ポルシェ 911 ターボ S だ。現在の愛車は 4 代目で、ブラック以外は乗らないのがデンツのこだわりだ。ボルドー の駐車場にはパナメーラが待機しており、もう一台、タイカンも購入候補に挙がっているようだ。香水瓶に女性らしい繊細さを見出すデンツは、ポルシェには男らしい力強さを感じると話す。「相反するもの同士が醸し出すバランスが大切なのです。ツいている時は グッドラックへの有難みが薄いのと同じ理論ですね」。

彼のビジネス哲学と内に秘める情熱は、いいハーモニーを奏でているのだろう。デンツは建築や芸術にも造詣が深く、エルトン・ジョン、ダミアン・ハーストや光の芸術家ジェームズ・タレル、(故)ザハ・ハディッド、アニッシュ・カプーアなど大御所との親交も厚い。「24 歳から働き始めて、かれこれ 40 年近くになります。ありがたいことに、すごく楽しみながら過ごしてきました」。古き良き街、シュヴィントラッツハイムの先にあるウィンジャン。パリから遠く離れたこの場所で、フランスらしさを堪能するのも粋ではないか。

Jo Berlien
Jo Berlien
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燃料消費量

  • 12.5 〜 12.1 リッター/100km
  • 284 〜 275 g/km

911 ターボ S カブリオレ

Fuel consumption / Emissions
燃料消費量 総合 12.5 〜 12.1 リッター/100km
CO₂ 排出量 総合 284 〜 275 g/km