天地の果て
古来、唐・宋時代の名臣たちが流刑に処された海南島も、今日では中国有数のビーチリゾートとして開発が進められ、最南端の三亜市には年間を通じて多くの観光客が 訪れる。その理由は……ビーチ?見どころ満載の観光スポット?それともフォーミュラ E?
ポルシェ カイエン E-ハイブリッド
燃料消費量 総合:4.7 〜 3.9リッター/100km
電力消費量 総合:24.1 〜 23.1kWh/100km
CO2 排出量 総合:108.0 〜 89.0g/km (2020年3月現在)
短気で政務に無関心であった明朝第 12 代皇帝の嘉靖帝に向かって職務怠慢の苦言を呈するには相当な度胸が必要だったはずだ。勇気と責任感だけでどうにかできる話ではない。極めて感情的であり、道教から来る受動的な性格が有名であった嘉靖帝。当時、中国においては北方でモンゴルによる侵攻、南方では倭寇による衝突が頻発し、国事多難の時期だったが、君主の嘉靖帝は朝政を省みず、優雅な生活を享受していた。
唐代より流刑者にとって “天地の果て” と恐れられた中国最南端の地、海南島への島流しが怖く、誰も嘉靖帝の政務に直諌することができなかったのだ。清廉潔白な官僚、海瑞は忠義のために諌言したことで流刑に処されたが、後に嘉靖帝が急逝したことで事態が好転。釈放されて元の官職に就くと、有能な 官吏として後世まで語り継がれることになった。それから時は流れて 1980 年代、かつては流刑地だった海南島に開発の手が及ぶと、時の国家主席、鄧小平の号令によりリゾート地として経済特区に指定され、以後目覚しい発展を遂げることになるのだから面白い。
近年 “中国のハワイ” だとか、“中国のコスタ・ブラバ (スペイン屈指の美しさを誇る海岸)” とも称される海南島は熱帯モンスーン気候に属し、12 月でも最高気温が 28 度まで上がる温暖な気候でありながら、近隣諸国からのフライト時間が短い手軽さが受け、中国本土だけでなくロシア等からも観光客が数多く押し寄せる。空の玄関口は中国の建造物にしては珍しく南国風デザインの三亜鳳凰国際空港。そして当地に降り立った観光客を出迎えてくれるのは、なんと “人魚” だ。巨大水槽の中でダイビング用のマスクとフィンを装着した女子大生が華麗に宙返りを披露してくれる演出に驚くが、ほどなく、これが海南島で人気のスキューバダイビングの PR を行っているのだと気づく。さすが、中国本土の客が喜びそうなポイントを押さえている。
海南島の三大ビーチ(亜龍湾、大東湾、三亜湾)にはリゾートホテルが軒を連ね、5 つ星ホテルも 50 軒近く擁する。ビーチでは外国人観光客がビキニ姿で海水浴を楽しんでいるのを横目に、中国人女性たちは水着の上にパラオを巻き、ツバの広い帽子とアームカバーで日焼け対策に抜かりがない。ビーチバカンスにおいても中国人女性の絶対的な美白信仰が揺るぐことは ないのである。大半の中国人女性は海には入らず、インスタ映えを意識した写真を撮影するためにサマードレスで着飾り、完璧なフルメイクでポーズを決めている。子供たちがバケツやスコップで無邪気に砂遊びをしている横で、大人たちはせっせと自撮り棒でセルフィー撮影に勤しむ。
写真を撮影することが旅の主目的であると言わんばかりに。“天地の果て” と称される天涯海角にも、パームビーチに屹立する巨大な奇岩をバックに写真を撮ろうとする客を乗せた大型観光バスがひっきりなしに発着する。かつては荒廃の代名詞だったこの地は三亜市の急激な発展と共に一躍景勝地として知られるようになり、今やチケット売り場は故宮(中国の歴史的建造物)にも匹敵する大きさ。恋人たちの聖地としても有名で、巨岩に刻まれた『天地の果てまでお供します』という詩 を前に記念写真を撮り永遠の愛を誓う若いカップルたちが後を絶たない。この日、天涯海角で話をきいた中国人女性のチャン・ツァイ・チューは、写真映えしそうな撮影スポットを探しに夫婦やって来たという。写真を撮る目的はただひとつ。河北省の実家にいる家族に自慢することだとか。彼女の故郷はそれこそ現代中国における辺獄のような場所で、北京に流れ込むスモッグの発生源とも言うべき石炭と鉄鋼の街。「美味しい空気と晴れ渡る青い空。そして素晴らしい景色を楽しむためにやって来ました。海には昨日足だけ入りました。それで十分満足です」。そう言って微笑むチャイ・チューはビーチでひとしきり写真を撮った後、すぐに “ラスベガスショー” へ移動するのだという。中国人にとってバカンスとはひと時の休息ではなく、狩猟期間のようなものなのだろう。息つく暇もなく撮影場所を追い求め、観光バス による長距離移動中、仮眠を取る時にのみ疲れを癒すのだ。
一般的な中国人団体ツアー客は昼に再建された少数民族(リー族やミャオ族等)の村を訪れ、夜は一風変わった雰囲気を醸し出す公園で海南島の壮大な歴史を追体験すべく “三亜千古情”(サンヤロマンスショー)の公演を観賞する。これだけ見どころが多いと、セーシェル諸島を想起させる美しい海岸の価値も低下するのか、亜龍湾には “遊泳禁止” の看板が立っているし、天涯海角では黒い制服を着て笛を持った場違いな監視員が目につく。他のビーチでも非常に狭い遊泳指定区域でしか泳ぐことができない。もったいないと訝るなかれ、これは世界最大の人口を誇る中国国民を守るため。彼らの大半は全くと言っていいほど泳げないからだ。
それでも中国人にとって “海” は特別な意味を持ち、旅行先としても人気が高い。ハリウッド映画の影響もあり、最近、中国でも結婚式で欧米式の白いウェディングドレスを着る女性が増えているという。中国人にとって人生で 2 番目に重要なのが結婚で、3 番目は自動車。 1 番は……食べ物であることは言うまでもない。
食べ物といえば、“舌にとろける豆腐” で有名な地元のレストランがグルメ検索アプリで 1 位に選ばれている。「私どもがご提供している豆腐は、かつて皇帝だけが食することができたものです」と説明してくれたのは、レストランのオーナー、ワン・ジンロンだ。「今後も三亜市の未来は明るいでしょう。これほどまで急速に発展を遂げた街は他にありませんよ」と自らが提供する料理と同様に自信を窺わせる。かつて万能調理器のサーモミックスを製造するドイツのフォアベルク社で勤務していたことがあるワンは、今から 11 年前に三亜市に越してきて、現在はオーナーとしてレストランを営んでいる。
彼の店のメニューにはドライアイスでスモークを焚いてサーブされる看板メニューの豆腐を筆頭に美味しそうな写真がずらりと並び、その下にはポエミーな料理名が添えられている。
例えば、“兄が恋したルー・メイ” という料理は、ほぼ同じ発音の “牛肉とダイコン” に掛けていて、小さなココット鍋でサーブされる。もちろん一番の売りはシーフードで、水槽の中から新鮮な食材を選んで調理してもらう料理は絶品。値段は一般的に重量で決まる。
ワンのように三亜市で暮らす地元住民の人口は約 90 万人。それに対して訪れる観光客は年間 2500 万人に上る。海南島経済の大半が観光業に依存しているのは確かだが、島北部には野生の自然保護区が存在し、街から車で西に 1 時間ほど走らせると尖峰嶺国家森林公園が広がる。
海南島に降り立ったポルシェカイエン E ハイブリッドは、絵に描いたように美しい “天池” を目指し、ワインディングロードを駆け上がる。他のクルマとすれ違うことなく頂上付近まで上り詰めると、海南島の中央部に聳える標高 1800 メートルの五指山や白い砂浜、美しい海岸線が一望できる。交通量の多い市街地も、もちろんカイエン E ハイブリッドの得意分野。
現地のポルシェ正規販売店の担当者も沿岸道路を走るドライバーのように初めはリラックスしていたものの、話題が純電動レーサー、ポルシェ 99X エレクトリックに移ると、たちまち目を輝かせるのであった。フォーミュラ E が間もなく三亜市で開催されることを考えれば当然だろう。ポルシェセンターを出発して次に向かったのは海棠湾のシンボルとも言うべき “アトランティスホテル”。施設内の水族館では 80 種類以上もの魚が泳ぎ、巨大な水槽内を覗き見ることができるガラス窓の前では子供向けに海の保護について学ぶワークショップが開かれている。
そして、ホテル周辺の道路でフォークリフトがせわしなくコンクリートブロックを運んでいるのは……そう、 3 月 21 日に開催されるフォーミュラ E 選手権の第 6 戦開催に向けてサーキットの建設作業が急ピッチで進められているからだ。ヴァイザッハのワークスティームはフル電動レーシングカー第一号である “99X エレクトリック” を持ちこみ、ここ海南島でポルシェ E パワーの実力を見せつけることになる。
さらに今年 6 月、三亜市から 250 キロ離れた海南省の文昌市では中国史上最大の衛星打ち上げロケットが火星を目指して飛び立つことになっている。かつて流刑地であったとは思えないほど、海南島の未来は 輝いている。