ピーター・ファン・デル・スパイ

根っからのポルシェのファンであり、ビジネスマンや政治家、著名人に定評のあるパイロットの 1 人、ピーター・ファン・デル・スパイ。これまでに彼が乗せた最も有名な乗客は、生きていれば今年の 6 月で 100 歳を迎えていたノーベル賞受賞者、ネルソン・マンデラだ。

ネルソン・マンデラのオフィスの壁に飾ってあった写真が自分であったことに「偶然ですよ」と言いつつも、少し誇らしげな表情のピーター・ファン・デル・スパイ。1993 年に撮影されたその写真に写っているのは、プライベート・ジェットを前に佇むマンデラと長身のパイロット。そしてその隣にはアフリカ民族会議(ANC)で人気の政治家であったクリス・ハニをはじめ、当時の南アフリカで指導者のシンボル的存在として人気を集めたマック・マハラジ、後にマンデラの後継者となるジェイコブ・ズマ、若手団体のアフリカ民族会議青年同盟(ANCYL)で会長を務めたピーター・マカバといった、当時最も重要なポストに就いていた政治家たちの姿が見える。この写真を撮影した後、まもなくしてハニは殺害され、1994 年、マンデラは南アフリカの大統領に選ばれた。「ある日、私はマンデラから電話を受け、写真を送ってほしいと頼まれました。この写真こそが彼らと一緒に撮影できた最後の一枚だったからです。そこで私は焼き増しをした写真を綺麗なフレームに入れて彼に送り、私の知る限りではマンデラは自分のオフィスに飾ってくれたのです」と、ファン・デル・スパイは当時を振り返る。

その写真はケープタウンのガーデン地区にあるファン・デル・スパイの自宅の壁にも飾られている。彼の仕事部屋をぐるりと見回すと、仕事以外に打ち込んでいるものが何かすぐ分かる。オフィスチェアはかつてのポルシェ 911 ターボのシートをリメイクしたもので、ガルフストリーム・ジェットの翼端を構成するウィングレットで作られたカウンター上には、レーシングスーツおよびシューズ、グローブ、そしてジェット戦闘機に使われるようなヘルメットが並んでいる。それらはファン・デル・スパイがパイロットとして次回のフライトで使用するものではなく、ポルシェ・ファンとして趣味のカーレースで着用するものなのだという。

政治家御用達のパイロット(1993 年):

政治家御用達のパイロット(1993 年):

ネルソン・マンデラの横隣に並ぶ、ピーター・ファン・デル・スパイ(右から二番目)
2 つの情熱:

2 つの情熱:

次のレースに備えてガレージに置かれているパイロットのレーシングスーツ

マンデラが示した敬意

南アフリカ人であるスパイはこれまでにアラブ首長やロシアのオリガルヒ、ハリウッドスター、そして著名な政治家たちやビジネスマンを乗せてフライトしてきた。彼の自宅には著名人たちの写真が飾られている一角があり、そこにはかつて南アフリカで外務大臣を務めたピク・ボサや今年の 2 月より現職の大統領を務めるシリル・ラマフォサ、ドイツ連邦共和国の以前の首相、ヘルムート・コールが微笑みをたたえている。錚々たる面々にもかかわらず、その隣に立つピーター・ファン・デル・スパイも引けを取らない。口ひげがチャームポイントのその容姿は、テレビシリーズ「私立探偵マグナム」の主人公を演じたトム・セレックを彷彿とさせる。これらの写真を撮影した頃に比べたら、少し年を取ったとはいえ、ケープタウンの日差しを存分に浴びた小麦色の艶やかな肌を纏うその引き締まった身体とその生き生きとした目は今でも十分に魅力的だ。まさにシルバーエイジを地で行く彼を見ていると、現在の 60 代が一昔前の 50 代と変わらないことがよく分かるだろう。

では一体、国家のエリート政治家であったマンデラとの繋がりはどこから生まれたのだろうか。「私の親友で ANC のメンバーだった者がいました。彼は 90 年代にアパルトヘイトに反対し、ネルソン・マンデラを支持した数少ない白人の一人でした。そして私はマンデラが内密でフレデリック・ウィレム・デクラーク大統領と交渉を行おうとしたとき、パイロットとして彼の手助けをしました。それからしばらく経過し、マンデラは私に感謝の意を述べてこう質問したのです。『今後、各地を飛び回らなければないのだが、私に力を貸してくれないか』とね」。こうして南アメリカでもっとも著名な政治家としてアパルトヘイト廃止を目標に掲げたマンデラを乗せ、国中を飛び回ったファン・デル・スパイ。「マンデラは類稀な才能を持った人物で、人と人との橋渡しに優れた能力を発揮しました。 一度、彼の生まれ故郷であり、現在の東ケープ州にあるトランスカイを訪れた時のことでした。彼の名誉を称えて伝統的なお祭りが催されたのですが、その時、私はマンデラの親しい友人の中で唯一の白人でした。最も権威ある首長が村のしきたりに従って、マンデラに牛の丸焼きから切り取った肉の最初の断片をふるまいましました。そうしたら、彼は何をしたと思います? なんとこの私にその肉をくれたのですよ。すっかり驚いて、私は彼に小声で尋ねました。『一体このお肉をどうすればいいのですか』と。すると彼はこう答えたのです。『食べなさい。それが私にできる君への最大の栄誉なのだから』と。まさにマンデラらしい行動でしたね」と、スパイはこう語った。

熱心なコレクター

スパイが次のエピソードを紹介しようとしたとき、彼の携帯電話の音がそれを遮った。掛けてきたのはスパイが所有する 1972 年製 911 カレラ RSR ターボを定期的に点検してもらっている修理工からだ。彼が GT シリーズのレースに出場するようになってからまだ 5 年ほどしか経っていないが、近ごろではヒルクライムレースにも参戦している。「金銭的に決して手軽に始められるスポーツではなかったので、十分に稼げるようになるまで少し時間がかかりました」と説明するスパイも、現在では様々なレースに参戦し、今年は南アフリカで開催されるクラシックシリーズにも参戦を予定している。

何十年もの間、スパイがポルシェのステアリングを握っているのには、彼の若かりし頃の経験が影響しているのだろう。

ドライブとレースの両方で:

ドライブとレースの両方で:

スパイは 964 のレッドの 911 カブリオレを普段から愛用している

「20 代後半、まだジェット機を操縦する前のことです。1 台の廃車寸前のポルシェを購入したのです。元の所有者はそのポルシェを修理しようと思っていたようですが、どこから手をつけてよいか分からない様子でした。そこで私は彼にお願いし、自分が彼のガレージで修理を行わせてもらえないかと頼みました。それから毎週末、1 年以上かけてそのポルシェを修理したのです。確かに時間はかかりましたが、自分たちの手で組み立てたことで、ポルシェがいかに精緻な設計であるかよく分かりました」とスパイ。

「自動車もまたジェット機と同様、最高レベルのテクノロジーが傑出したものだといつも思っています」 ピーター・ファン・デル・スパイ

それからというもの、ファン・デル・スパイのポルシェへの情熱は今なお色褪せてはいない。彼は長年かけて多種多様なモデルをツッフェンハウゼンから取り寄せ、自身のガレージに加えていった。最近まで 911GT3RS と南アフリカ・ポルシェクラブで 6 度の「コンクール・チャンピオン」に輝いた 911(964)カブリオレを使用している。「愛機が完璧な状態であるかどうか、常に気を配っています。血なのでしょうね」と生粋のケープタウンっ子である彼は冗談交じりに話す。「自動車もまたジェット機と同様、最高レベルのテクノロジーが傑出したものだと思っています。ポルシェは私にとって世界で最高のスポーツマシンであり、自分の仕事と深く結びついているのです」。

ライオンズ・ヘッドからの眺望:

ライオンズ・ヘッドからの眺望:

ファン・デル・スパイがケープタウンからシグナル・ヒル・ストリートへと 911GT3RS を走らせる

職業としてのパイロット

そんな彼も最初からガルフストリームのパイロットとしての道を歩んだ訳ではなかった。初めての就職先は産業ガスメーカーで、化学者として燃焼テクノロジーの専門家だったスパイは、航空機のパイロットへの夢を断ち切れず、後にこの道を選択したのだ。最初はプライベートで飛行レッスンを受けることから始めた彼も、航空学の最終試験でコンピューターソフトウェアについて論文を書き、その出来があまりにもよかったため、後に彼の論文は航空機パイロットに販売されることとなった。その後スパイに訪れた人生の転機は、本当に偶然の出来事だったようだ。「飛行機を所有していたある友人が私に誰かパイロットを紹介してくれないかと尋ねたのです。私が職業訓練で知り合った仲間の誰かに期待していたのでしょうね。色々と聞いて回ったのですが、結局誰一人見つかりませんでした。しかし、自分自身も当時はまだ『タイプレーティング』と呼ばれる型式証明が取得できていませんでした。これは使用機材に応じて必要となるもので、とても高価なものでした。すると友人は『それなら僕が払うよ』と言ったのです。そこで私は勤めていた会社の上司に退職願を提出し、プライベート・ジェット機のパイロットになったのです」とスパイ。

機密事項

過去 20 年もの間、ファン・デル・スパイは南アフリカから国外へと飛び回り、ヨーロッパ、北アメリカ、アジアといった国々で一年の大半をクライアントのために働いてきた。経験豊富なガルフストリームのパイロットとして彼の抱えるクライアントは世界中に存在する。彼は今でも著名人を重要な会合へと運んでいるのだろうか。そう尋ねるとスパイは沈黙し、眉を上げて微笑んでみせた。

 

 

 


「今、こうして皆さんの前に立っている私は預言者ではなく…

ネルソン・マンデラ

…国民である皆さんのための一介の奉仕者です。皆さんの英雄的な犠牲の数々によって、私は今日、この場に立つことができました。だからこそ私は残された命を皆さんの手に委ねます」。1990 年 2 月 11 日、ネルソン・マンデラはこう演説した。政治犯として 27 年間の監獄生活から釈放されて、わずか数時間後に行われたスピーチだった

Bernd Zerelles
Bernd Zerelles